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部屋がきれいだと心もきれいだ、なんて美辞麗句を言うつもりはないが少なくとも綺麗になった部屋にいると気分がいい。それだけは確か。もうこの先パソコンをやるために椅子を引こうとしたら図書館の本を踏みつけてブルーな気持ちになる、なんてこともなくて済む。こういう一つ一つが自分を苛立たせていた部分もあるかもしれない、と急にだだっ広くなったように感じられる部屋を眺め回して思う。こんなにフローリングが見える部屋も久しぶりだ。コレがあるべき姿だといえばそれまでなんだろうけど、あるべき姿とかにはなかなか到達できないってことだ。
本を大量に整理、というか収納しながら一冊一冊表紙を眺めていると、ああコレ面白かったなあ、ああコレつまんなかったなあ、これ全く内容覚えてないな、なんていうふうにスライドショーのように感想が湧き上がっては消えていく。僕は記念写真とかそういうものをほとんど持たないたぐいの人間なので昔の自分を思い起こさせるような何かといえば本か音楽かテレビ番組しかない。でも音楽は聞くたびに心象風景が更新されるし(もう最初にNUMBER GIRLを聴いた時の感覚なんて霧の向こうだ)テレビ番組を見返す機会なんてほとんどない。だから本を何かの機会に手に取ることくらいでしか昔の自分と向き合えない。向き合っているというよりも断片的な昔の自分とばったり出くわすという感じか。僕は本当に記憶力がないので自分が何歳の時にコレを買ったか、なんて一向に記憶してないんだけど、でもなんとなくその時の心持ちや小説を初めて開いた時のワクワク感やらがちょっとだけ心にすっと流れて、なんだか懐かしくなる。
今は金が無いせいで本を買ってない。本当は良くないことは分かっているんだけど。もうちょっと待ってて、って感じ。そのかわりに、というわけじゃないけどスケジュール帳に読んだ本と日付が書いてある。今は見返すことはないけどいつか見返して郷愁に浸ることがあるんだろうか。なるほどLessigとか読んでたなあみたいな?ちょっと想像つかないな。その頃の自分は今の自分が買いたくても変えなかったアレやコレやを買っているといい。僕だって出来るなら自分の気に入った厚くて知的な本に囲まれて、賢くなったような気分で過ごしてみたいんだ。その本の何百分の一でもいいから賢くなりたいね。
Twitterをやってるせいかもしれないけどなんかいちいち上手いこと言わなきゃいけないような気がしていたけど、そんなこと考えないで、字数も無視して文章をダラダラ書くのもいいもんだ。明日は5時おきなんでそろそろ寝ないと。法事だから仕方ないとはいえ、全くなんだってあんな窮屈な服と靴を装着してえんやこら新潟まで行かなきゃいけないのかな。おばあちゃんに会えるのは嬉しいけど。
2010年11月03日01時49分14秒コメント:0