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思春期のど真ん中16歳にして将来の不安も焦燥感もみんな死ねばいい的な破滅思想も胸が張り裂けそうな故意も怠惰な気持ちも打ち込む何かも存在していなくてただただ楽しいと思う気持ちだけが存在している。女子高生たちのブログを読んで手(あれが普通の人かどうかは分からん思想ではないとは思うが)同じ時間人生を生きてきた人と言うかこんな人たちが自分と同じ年齢でこの世に存在していること自体がよく分からない。多分人生について悩んだのなんて中3くらいが最後。己はいかにして生きるかについて一応それなり、本当にそれなりに悩んで結局得たのは「楽しいことをやればいい」という結論。そこから僕の感覚や常識は坂道を転げ落ちるどころか自由落下を超える速さで堕ちていき今ではこんな屍を晒しているわけだ。どこにいったのだろうかね?恋愛はまあともかくとして落ち込んで友達やら歌に励まされるなんてことを普通にやっている人間がいることに驚きと戸惑いを感じる。最近落ち込まなくなった。と言うよりそんな感情が絵が色あせるように消え去ってしまった。楽しい以外の感情はどこに行ったのか。感動は少しあって怒りもまあまああって悲しみはほとんどなくて悩みなんて存在しない。こう、つまらんのかも知れんな。いや、彼女がいて電話口で起こられるとか礼拝で自分の体験をぐだぐだくっちゃべりたいとか友達のメールで泣いたりしたくはないがそれでなくてももうちょっと何かあるだろ。ないんか。ないんだろうな。僕の心は乾いたんじゃなくて土ごと消え去って中身が何もない真空だらけになったんでしょうね。今さらそんなことで悩みはしないがよく評判を知りたくてレビューとか見ると「何度も泣いた」「感動して涙が止まらない」「これ読んで立ち直った」見たいな感想が列記してある作品があって、ためしに読んでみると物の見事に泣けなかったりする。感動はするんだけどね。いい話だなあとは思うんだけどね。泣けないし人生に悩みもないから何の感慨も起こらん。人生この先生きれば悩みも出てくるんだろうが、思春期にそういう体験をしないのは損みたいなことを考えてしまう。そしてこれは多分洗脳だ。最近気付いた。アルジャーノンに花束をは好きだが、感動して泣いたりは出来ないしどっちかっていうと救いのない話に読める。女子高生とか見ててこの人たちは今までどういう人生を送ってきたのか、俺と何が違ったのか、頭の隅にそういう疑問があるがそれはきっとどこが違うなんていってんじゃなくて開始のスタートラインから全て違ってきたんだろうな。いろんなとこで曲がりまくったのか曲がらなすぎたのかは知らんがきっとそういうこと。羨ましいとは思わないが時々向こう側を見つめて「ふ~ん」みたいに感心したりはする。日本に住む人がヨーロッパの風習を見て感心する感じ。異文化。異世界。あっちとこっちは断絶されていて二度と交わることもない。僕は向こうの生活をこっちから覗き穴を覗くように覗いてそれで分かったつもりにでもなるんだろう。向こうも同じでそう考えるとやっぱり人は分かりあえない。だから僕は自分と同じ世界にいる人を求める。そんな人と一緒にいたいと思う。自分と同じ世界に人はいないが近いところに人はいると思う。多分。その人と知り合えればなあ。一人の世界は居心地がいいけど二人でもまた違った居心地の良さなんだろう。愛のあるセックスも何も分からん人間は人と語り合えるだけでいいです。高望みはしない。多分今の自分は女子高生とセックスより本当に機の会う人とお話しするほうを望むのだろう。性欲とは別物。人を信じてなくて寄り添う気持ちもないからそういうことを考える。寄り添いもしなクセに弱くて一人前に幸せとか考えてる辺りが思春期か。そんなこともないからきっと涙も流れないんだろう。映画で感動して泣いてる人を心の中で疑うのだろう。うそ臭いと思うのだろう。多分その涙は一瞬の涙で自分の世界で泣いてるわけじゃなくてその世界に入り込んで泣いている。だから直ぐに自分の世界に戻ってこれるんだ。ずっと泣けってことじゃなくて。なんかうそ臭いという感情を禁じえない。本を読むのは楽しいから。涙は出ないけど楽しいしね。恐怖も感じる。屍鬼は怖い。面白い。放っておくとこれだけ適当に色々書いてしまう自分はきっと病気だ。治療方法は書くだけ。昔は別なものを書いてたけど今は日記か。日記?なのか。わからん。多分読み返すこともないだろう。今書いてるこの瞬間だけが世界だしそれ以外は記録だし未来なんて存在してないものだからな。ここまで読む人はさすがにいないしこんなの読むくらいなら小説読むなりした方がいいと思う。勉強は苦手で関本は多分点数を取れなくて5とか成績がつくんだろう。リアルな未来に戦慄はしない。淡々と。坦々と。思う。思考。勉強しないと休み中にエロゲが出来ないのでやります。今年はエロゲ、小説、夏期講習の3本立て。語感がいい。カルパッチョは最高峰。あれ以上のものを見つけたことがない。短い単語なのにこれだけ語感がいいのも珍しい。「マグロのカルパッチョクリームソース添え」適当に言っても大丈夫。何も大丈夫じゃない。頭が特に。死に掛けた頭が紡いだ言葉なんて意味もクソもないものだ。ただの羅列。離れ島が続くかのような飛び飛びの思考が露わとなるだけ。ペシミスト。でいいんだっけ。悲観主義者だったような気がするが自信が全くないので後で辞書で調べる。パソコンっていくらなんでも誤変換が多すぎる。来年の記念祭は小冊子を作りたい。みんなでリレー小説とかしたい。ぐっさんとかになんか書いて欲しい。イオさんたちにも頑張って欲しい。