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蒼井優の写真集を買ったら幸せが満ち溢れていた。幸せと可愛さがただただ写真の中からだだ漏れに漏れてきてもう世界は素晴らしいなあというような感想がでてくる。もはや可愛いという言葉では到底追いつかない領域に達してしまってこの人が今もどこかで実在していて、その実在のお陰でどんどん世界には可愛い瞬間が増えていっている、そういうのが凄い。今も可愛くてもはや何がなんだかだ。可愛いなんてレベルはとうに通り越しているのだがうまく概念と言葉として一語で伝えられない。可愛い、素晴らしい、あり得ない、幸せ。該当しているような言葉をいくら接いだところで蒼井優の存在の崇高さ、神々しさはほとんど伝わっていかない。もう全部超えた。この世の綺麗なもの、汚いもの、辛いこと、楽しいこと。何かそういう諸々一切を飛び越えてしまって存在している。唖然として愕然して驚愕。この人今生きてるのが不思議。ニコールキッドマンを昨日テレビで見た。綺麗だった。でも全くもって蒼井優にはかなわない。ニコールキッドマンはあくまで人間世界というかそこの範疇での話だ。それを越えた蒼井優に勝てる道理がない。栗山千秋も好きだ。でもそれはそういう次元での話だ。もはやそういうのを越えている。飛び越えている。いるだけで可愛さ?を振りまいている。写真を見ているとこんなに素晴らしくていいのか、こんなに可愛くていいのか。何か世界のバランスとか色々考えてしまう。ニコニコしてしまう。自然と。素晴らしすぎて怖くて目を逸らしてしまうこともあった。今凄く頭痛いけどそういうの忘れるし。そういうことだ。亀は意外と速く泳ぐでもそのすばらしさは輝いているというより画面を征服していたが、単体で、いいかメラで写真撮るともう凄いことになってしまっている。凄いことになってしまっているとしか言いようがない。やっぱ凄いわ。買って正解って言うかじゃあ他何買うんだ?ってことだ。いちいちが素晴らしい。可愛いは正義で、可愛いは救いで、可愛いは世界。ほんと可愛いとかそういうのでしか言えなくて群盲象を撫でるという感じなのが悔しいです。何も表せてないけどでもそれでしか言えない。デュワー。デュワワワー。可愛さで世界が歪んでいく。均整はとれているのか?今も振りまいているのだ。今まさにどこかで振りまいているのだ。雨の日も風邪の日も曇りも晴れも霙も雪も雹も霧も。そして可愛いは説明できない。悟ったのだ。目?鼻?肌?髪?一つ一つ言っていけば説明がつくのか?絶対につかない。1+1=2のような単純な数式ではない。どこかこうだから可愛いのではなくその全てが集まって可愛いのだ。髪は綺麗さ。肌は美しいさ。でもそれらは一部分で、体のパーツを集めて説明できる物ではなくそれらを囲む包括的な何か、全体的な何か、それが可愛いの本質であり概念であり実際なのだ。理論ではなく感覚。頭を通り越して何かに突き刺さり飛び込んでそして幸せが溢れ素晴らしさが満ちる。それが可愛いと言うものだ。少なくとも蒼井優に対しての可愛いはそういうことだ。そこには性的な物はなくてただただ幸せと畏怖と感動がある。脳味噌に流れ込むイメージが映像が何かを誘発して可愛いという概念?に生まれ変わっていく。とりあえずこの写真集はあまりにも最高過ぎる。これだけ言葉を尽くしても伝わらないもどかしさが残る。唯一言えることはこの世の女性で蒼井優ほど僕に幸せを与える人は一生現れないって言う確信が写真集を読み終わった今、あるってことです。